●日本画家 澁澤卿
+
●字幕翻訳家 菊地浩司+アシスタント小玉展子(2008年8月1日 鎌倉自宅にて)
●日本画家 澁澤卿 第2回 僧侶になる
2008.09.03
[坊主になれ]
小玉:
仕事を辞めてからは何をしていたのですか?
澁澤:
鎌倉の自宅で制作してはいました。まあ言うならばプータロウです。そんなときあるお坊さんと縁ができ時々お寺に遊びに行くようになりました。ある日「絵で食べていけるのか」と聞かれました。そのころすでに結婚していましたし、実を言うと生活は苦しかったのです。すると「おまえの顔は坊主の顔している。坊主になれ」って言われたんですよ。
小玉:
顔でお坊さんになるんですか(笑)。
澁澤:
「絵描きになりたいと思っているし、信仰心もないのでだめですよ」と私は答えました。それでも明日から高島屋と同額の給料をやるし一日中絵を描いていいから坊主になれって説得してくるんです。
小玉:
それはずいぶん熱心な勧誘ですね(笑)。
澁澤:
それと日蓮宗には全国に四千のお寺があるのですが、僧侶が来たら、必ず一宿一飯で歓迎しないといけないそうなのです。ですから坊主になれば四千寺を北から南まで訪ね歩いて十年、帰路で十年、永遠に食べていけるぞって(笑)。美味しい話に乗せられてOKしてしまいました。
菊地:
日蓮宗では僧侶になるためにはどうすればいいのですか?
澁澤:
修行のために身延山に行かないといけないのです。話が違うと言ってごねたのですが、聞き入れてもらえずしぶしぶ修行に行きました。
そこで驚いたのは、汚い修行着を着た新米の坊主の私にお参りにみえた信者の方々がありがたがって、手を合わせて拝む姿でした。
私の芸術を見た人はぎゃーと叫んで逃げていくのに、ここでは私の汚い衣も拝まれてしまうんです。もともと芸術っていうのは宗教絵画から発したもので、人の心を癒すという目的があったのです。ただ当時の自分の絵は人の心を癒すようなものではありませんでした。そんな絵を描くぐらいだったらやめたほうがいい、そして仏教に帰依していこうと思い、その後3年間絵を描くのをやめて僧侶の修行に励みました。
[復帰―具象絵画への転向]
菊地:
どこで修行なさったのですか?
澁澤:
鎌倉の寺院です。その当時、有元さんなど同期の芸術家がぐいぐいと頭角を現していた時期でしたが、私はひたすら修行に励んでいました。
ところが坊主の世界の悪いところが目に付いてくるようになってきたのです。宗教や信仰自体はすばらしいのですが、やはり坊さんも人間ですから、欲もありますし、お金が飛び交う世界なのです。それに嫌気がさしてしまいまして、絵描き中心の生活に戻ることを決心したのです。絵を描いていても布教活動は続けられますから。
菊地:
なるほど!
澁澤:
その後の展覧会から私は具象絵画に転向したのです。人に刺激でなく安らぎを与えるような絵を描きたくなって。現代では物を写しているだけの具象絵画を軽視する傾向がありますが、それは違うでしょう。絵は画家が懸命に描いたものから感じてもらうものであって、決して画面が現代的・抽象的である必要はないと思うのです。良い絵とは作家のハートを写し込んでいくものなのです。
[心象風景としての具象絵画]
菊地:
澁澤さんの絵は、とてもリアルなのですが、構図や色彩などがかなり大胆です。写真に近いのか、それとも意識的にずらしているのか、そのへんを教えてください。
澁澤:
写真のようだと言われると若いころは不満でした。でも45歳を過ぎるとそれでもいいのかなと思うようになりました。鑑賞者が写真のように現実の風景だと思っても、ほとんどが私の心象風景なのです。写真みたいと言う人は私の絵のマジックにかかっているのです。
小玉:
ようするに絵は、実際の風景の写しではないということですか?
澁澤:
はい。だから、絵に描いたお寺の住職さんが自分の寺が描かれたことに気づかないときもあるのです(笑)。「うちの寺こんなきれいでしたか?」なんて言われることや、こちらが描いた通りに庭を変えてみようかな、なんて言われることもあるのですよ。
菊地:
ところで澁澤さんの絵の中には人の姿がありませんね。
澁澤:
風景の大きさを感じてもらいたいときには人物が登場することも無くはありません。静けさを感じて欲しいので人物は省略します。実際にスケッチに行くと大勢の観光客がお寺を埋め尽くしています。私はそんな環境でも人がいない世界を想像して人を消します。雨の絵も、雨の日にスケッチしているわけではありません。頭の中で雨を降らすのです。景色は詩のように現場で語り出し、帰ってきてアトリエでそれを絵にしてやるのです。
[絵にも描けない美しさは絵に描かない]
菊地:
題材はどのように決めるのですか?
澁澤:
私は「絵にも描けない美しい風景は絵に描かない」と考えています。だから富士山のように実物のほうが絵より美しいモチーフは描きません。絵で描いたほうが美しくなると思った風景のときだけ絵にします。絵の四角いフレームの中で、想像力を働かせて美しい景色を現実の景色を参考にして作り上げていくのです。実際の風景よりも私の絵のほうが美しいと自負しています。
菊地:
むしろ美しいものを絵に残したいのかと思っていました。
澁澤:
デザイナー根性っていうのでしょうか、ゴミの山でもどうしたら美しく撮って公害などのポスターに使おうかって考えてしまいます。色彩に関しても、見えたとおりに彩色していくのではなく色見本帳で色を探しながら指定していくように彩色するのです。見たままの色っていうのは、決してきれいなものではないんですよ。
(
第3回に続く
)








