●ゴルフ解説者 岩田禎夫 第1回

2007.04.20

ゴルフ解説者 岩田禎夫 × フリーアナウンサー 田中美穂

  

昨年の5月30日にアメリカでジャーナリスト賞を受賞。マスターズ放送の達人ゴルフ解説者岩田さんにお話を伺います。

 

 

ゴルフとたくさんの人々との出会い

   

田中 :テレビのゴルフ解説で有名な岩田さんですが、ゴルフを始められたキッカケを教えていただけますか?

岩田 :そうですね。大学でね、僕上智に入ったんですけどね、グランドの一番端っこにソフィアゴルフクラブという練習場があったんですよ。ゴルフ部に入るとそこがほとんどタダみたいな感じで安くなるからボール打ってたの。それが目的でゴルフ部に入って。午前中はグラウンドで打ちっぱなし。

田中 :えっ、本当に安いからっていうただそれだけの理由で始められたんですか?

岩田 :うん。

田中 :ここまでゴルフにハマッてしまった理由というのは?

岩田 :ちょっと長くなるけど知りたい?

田中 :はい。ぜひお願いします。

岩田 :戦後…1957年に霞ヶ関でカナダカップっていうね、当時一番大きい国際大会があって。それで日本にゴルフブームが来たんですよ。そのころ朝日新聞か何かの連載小説で、獅子文六さんのね、「大番」っていう小説があったんですよ。それに出てきた「ジューちゃん」という…佐藤和三 郎さんとう実在の人物なんだけど、その人が立志伝中の人みたいに、田舎から出てきて株屋の丁稚小僧から財を成すんですよ。一代にして。そのジューちゃんって人がね、1957年頃にはもう出世して株屋の社長になってたんですよ。で、回りから勧められて、ゴルフを始めたんだけどあるときね、小金井だったかな…ビジターで小金井のゴルフ場に行ったの。そこでちょっとまあ、おしっこがしたくなったもんだから、ヤブのなかに入って用を足してたのよ。そしたらそれをメンバーに見つかって「なんだあいつは」って咎められて、あんなもん追い出しちゃえってすぐに追い出されたわけ。そのときジューちゃんは頭に来て、ようし、それじゃあ誰からも文句を言われないようなゴルフ場を作ってやると、それで「江ノ島ゴルフ場」ってパブリックなゴルフ場を作ったの。

田中 :その「ジューちゃん」にあこがれてハマッたんですか?

岩田 :実は、僕のところはおじいさんの代から株屋だったの。おじいさんはもう兜町の草分け的存在のひとりだったんだけれども、おやじもそれを継いだんですけどね。

田中 :そうだったんですか。

岩田 :そのおやじが、僕がまだ幼稚園に行ってるころに亡くなって、それで、戦争が終わってから、僕の兄貴がやっぱり株屋さんに入ったの。でね、その会社がジューちゃんの会社だったんだよ。それで彼がゴルフ場を作っちゃったもんだから、みんな出向で来るんですよ。そのゴルフ場に。

田中 :なるほど。

岩田 :で、兄貴の仲間達が、そこのゴルフ場に来てたわけ。そこで岩田さんの弟さんならとタダでやらしてくれてたの。

田中 :じゃあ、デビューはそこのゴルフ場だったんですか?

岩田 :そこだったか、川奈だったか川奈のほうが先だったかもしれないなぁ。川奈の石井茂さんっていうプロに「ちょっと打ってごらん」って言われて。「それならいいだろう」ってその日お墨付きもらってさ。「今日はもう空は見るな。地面ばっかり見てろ」って言われながら初めて回ったのが川奈だったのね。

田中 :お墨付きってことはそういうふうに言われないと(コースに)出られなかったんですか?私、この前2ヶ月でデビューしちゃったんですけど…。

 

  

岩田 :昔はね、然るべくゴルフクラブなんかに行くと、「うるさがた」がいてね、ベテランの。で、新人が行くと、まず練習場で玉を打てと、それで練習場で玉を打つのを見てると「おまえもうぼちぼちいいかな」ってOKが出るんです。うるさい人から。

田中 :岩田さんみたいな人ですね。

岩田 :まあね。それで「ぼちぼちコース出てもいいだろう」って初めてコース出るから、みんな一応玉が打てるようになってからコースに出るわけですよ。

田中 :私は打てませんでしたけどね。コースに出たとき…。それで川奈がはじめてのゴルフだったんですね。

岩田 :そう。それでちょっと話が前後するけど、ちょうどそのころさっき話した江ノ島ゴルフ場が出来て、ほとんどタダでプレー出来て、ラウンド終わるとね、ビールまでご馳走になって帰ってきてたの。そういうことがあって(僕と)ゴルフとの結びつきが出来てきたの。

田中 :それからゴルフにハマッてしまったんですね。

  

  

岩田 :大学のあと僕は報知新聞に入ったんです。そこでゴルフも少しやるっていうので…当時報知新聞で月刊のゴルフ雑誌を出してたわけ。これがね、社長直轄の部署なの。そこで…新聞のほうのスポーツ部とゴルフの雑誌のほうと兼務だったんですが、とにかく僕はゴルフのほうの仕事が好きだったし、社長の直轄だったから「ゴルフの仕事がありますから」って新聞のほうはよくさぼって(笑)。

田中 :楽しそうですね(笑)。

岩田 :うん。それでゴルフのほうばっかり行ってたわけ。そこで、いろんな人と知り合って、そのなかで僕が一番感化を受けた人が、佐賀鍋島藩の鍋島の直泰さん。この人が戦前日本で3連勝したりね、まあトップアマチュアだったんですよ。その人にゴルフのいろいろな話しを聞いているうちにだんだんと引き込まれていってゴルフっていうのは魅力あるスポーツだなって。それで、その鍋島さ んがフランチャイズ…いつも本拠地にしているのが帝国ホテルで…夕方なんか電話がかかってきてね、「岩田くん、時間ある? 今帝国にいるんだけど話がある んだけど、どうかね」って。僕はもう鍋島さんからの電話ですって聞くと、よほど緊急の仕事じゃなければ、行っといでって言われてさ。

田中 :鍋島さんって鍋島藩のお殿様ですか?

岩田 :うんうん。(13代当主)。それで鍋島さんって戦前英国にもずっといたしね。本当の…本流のゴルファーなんですよ。その人から外国のゴルフの話なんか聞いているうちにだんだん夢が海外まで広がって行くわけです。そのなかでも鍋島さんは海外のゴルフ、特にマスターズを見なさいと。せっかくゴルフの担当なんてやっているならマスターズを見に行きなさいっていうので、マスターズへの夢が広がっていくわけですよ。まあそれが実現するまでには歳月がかかるわけだけど。その当時は1960年代ですから、東京オリンピックが1964年でしょう?その一年間はオリンピックで忙しいからゴルフ部との兼務をハズされて新聞のほうに行ったのよ。それから1960年代の終わりくらいになると報知新聞がすごい労働争議になって、雰囲気がすごく悪くなったの。それで「もうここにいても面白くないな」って思い始めて、1970年で報知をやめてフリーになったんだ。

 

アーノルド・パーマーのパター

 

岩田 :初めてマスターズに行ったのが1972年。

田中 :それはおひとりでいらっしゃったんですか?

岩田 :うん。

田中 :そのときのことって今でも覚えてらっしゃいますか?

岩田 :そのときはもう…別世界には行ったみたいでね。緊張で。とにかくもう華やかというか…オーガスタ・ナショ ナルのコースに一歩足を踏み入れたら、もう世界が違うんだよね。そのときに勝ったのがニクラウスでさ、それだけにニクラウスの印象が強いんだよ。ニクラウ スとかパーマーはもっと前から知ってんだったんだけどさ。確か1960年の秋にパーマーが初めて日本に来て、そのときに一緒に食事するチャンスがあって…。

 

 

田中 :すごい!

岩田 :で「お前ゴルフやるのか?」 「はい、やります」

「じゃあ、いいものをやる」ってパターをくれたの。

田中 :ええ(驚嘆)! パーマーとは親しかったんですか?

岩田 :いや、そのときはじめて会ったの。そのとき特に言わなかったんだけど、そのパターはおれがずっと使ってたパターだってくれたんだ。で、パーマーは1960年もマスターズで優勝しているから、その時のパターだろうと。

田中 :それにしても、もらったというのはすごいことですね。

岩田 :なぜくれたかっていうと、パーマーは57年かな? 56年からプロになって、そのころウィルソンと契約してたわけ。でも、60年からウィルソンから 離れてね…マーク・マコーナーっていう有名なマネージャがいるんだけど、彼のところと契約してウィルソン専属じゃなくなったんだよ。それでもらったパターにはウィルソンって名前が入ってるんだよね。で、ウィルソン離れたからやる。と…僕にくれたんだと思う。

田中 :でもそれを初対面の岩田さんにくれたっていうのは…。

岩田 :何か気に入られたんでしょうね。まあパーマーって太っ腹な人ですからねえ。その後もね、パーマーのブレード型パターっていうのを彼自身使ってたんですよ。でもウィルソン時代のパターっていうのはもう使ってなくて、かなり値打ちは出てるんじゃないかな? 骨董的なね。

田中 :うーん、すごいお宝ですね。

岩田 :ニクラウスと初めて会ったのは1962年。62年の秋ですね。

田中 :それはどこでですか?

岩田 :えーと、その前の年の12月にニクラウスがプロになって、62年はプロ新人の年だったの。で、その年全米オープンに勝って、秋に日本に来たんだよ。そのときはエキシビジョンか何かやってすぐに帰っちゃって、そのときは報知新聞の記者だったから取材はしたんだけどパーマーみたいに食事とか出来なくて。1966年に読売カントリーでカナダカップ(現・ワールドカップ)があって、パーマーとニクラウスのふたりがアメリカの代表で来て、そのときに彼らがホテ ルオークラに泊まっていて、僕が会社の車で毎日彼らをピックアップして行くんですよ。早朝に。でも帰りは僕が仕事があったり、当時は道路が悪いでしょう、 車だと時間がかかるわけだから、小田急…電車で彼らは帰ったりしていたんだよね。

 

 

田中 :ニクラウスやパーマーが電車で?

岩田 :そういう時代だったんだよねえ。そうして段々ニクラウスと近づくチャンスに恵まれたんだね。

田中 :ニクラウスとはそのときからのおつきあいなんですね。

岩田 :そうそう。あとアメリカとか行くようになって、どこでというわけではないけど会うようになって。当時のビッグ3と言われた人たちも、今みたいにガードが固いとかそういうことがなくて、わりにストレートに、個人的に話しかけられたの。いい雰囲気でしたよね。

田中 :何か特に思い出に残っていることとかありますか? 飲みに行ったこととか?

岩田 :1973年だったかなあ? 僕の友達がIMGの東京支社にいまして。IMGというのは、あの3人を抱えていたマコーマックの会社なんだけれど、そこ を焚きつけて、あと友人がプロダクションにいたんで、無謀にもね、パーマーやニクラウスとかのプレイヤーを使ってテレビマッチをやったの。日本でもやったしアメリカでもやった。ハワイではパーマーと…誰だったかな…ジャンボかな?今だったらとてもそんなのやれないのに、結構安いギャラでやってたんですよ。当時はパーマーがロイヤルハワイアンかなにかに泊まっていてですね、誰かに(パーマーが)おまえさんを探してたよって言われて部屋に行ったら、ちゃん と美女を2〜3人はべらせてて…やっぱり彼は女の子好きだなって思ったよ(笑)。

田中 :(笑)そこでご一緒に飲まれたんですか?

岩田 :その時はもう…緊張してね、ちょっと何杯かだけで済ましてすぐ帰ってきましたけどね。翌日カウナパリ、マウイ島でテレビマッチやったの。翌々日か な?まだ早いうちに、6時くらいにね、我々がスタッフと行ったら、もうパーマーがコーヒー飲みながら出てきて。ジャンボはもっとぎりぎりにならないと出 てこなかったな。

田中 :日本でのテレビマッチは?

岩田 :ゲイリー・プレイヤーと日本のプロ…誰だったかな、茅ヶ崎のスリーハンドレッドゴルフ場でもテレビマッチをやったな。東急の五島昇さんと慎太郎さん はスリーハンドレッドに付属のテニスコートでテニス仲間だったみたいだけど。僕もありがたかったのは、ゴルフ雑誌の編集の関係で五島さんがすごいかわい がってくれて…五島さんにね、テレビマッチやるから解説してくれませんかって聞いたら「いいよ」って二つ返事でオッケーもらってね。カメラ2台ぐらいで 撮っちゃったもんね。フォアキャディ(飛んでいったボールを見る人)なんかはもうヨットのクルーとかでさ、そんないいかげんにやってたんだよ。そういう面白い写真なんかね江ノ島の「寿司政」とかにあるはずですよ。

第2回に続く

 

 

  

 

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