TV台本との違い≪グーニーズの吹替え≫

当スーパーマン、先日スピルバーグ監督の『グーニーズ』の

吹替え翻訳をやってみた。
ごらんになった方も多かろうがこの映画、ガキどもが何人も出てきて

ペチャクチャピーピーギャーギャーとうるさいうるさい。
次から次へと折り重なって四人も五人も同時にペチャクチャやって、

それを全部一人一人の口に合わせて訳していくんだゾ!

もう途中で頭が痛くなってきた(字幕ならとばせるのに!)
原稿枚数は普通の字幕翻訳の五倍はあった。

これでギャラは字幕版より安いんだもんな~。
録音の時、スタジオに行くと声優たちがスーパーマンの訳した台詞を一生懸命画面にあわせてしゃべってた。

子役たちも早口のところなんか、みんな必死。普通、一本の映画の録音は一日ですむが、これは三日もかかった。子供たちもがんばってくれた(今、ビデオが出てるので見てください)。
吹替えの是非はともかく、もとの映画とイメージが変わることが多い。これは声の違いが最大の要因。

日本人と西洋人は声の質が違う。男性はまだしも、日本女性の声は全体にトーンが高い。
あとは時間と予算の問題。予算が少ないから、あまりケイコに時間がかけられない。

役のツッコミも甘くなる。配役――つまり、声優さんもドジの少ない無難な人が優先となる。

質より、うまくこなす人の方が大切なわけだが、それってちょっと問題あるよね。

 

本文は菊地浩司が20数年前に「プレイコミック」という漫画雑誌に映画翻訳家の舞台裏をコラムとして掲載していた時のものです。本文に一部適切ではない表現がございますことをご了承ください。

TV台本との違い≪字幕版との大いなる差≫

翻訳者にとって、吹替えの一番の魅力は、

もとの台詞が見る側に聞こえないってことだ。
だから何を、どう日本語でしゃべらせてもかまわない、直訳しようが意訳しようが、誤訳しようがどうせわかンないンだから知ったこっちゃねえやー。

 

なーんてことはないが、とにかく字幕とくらべて制限が大幅に緩和されているのがいい。制限あるとすれば、俳優の口パクに声優の台詞を何とか合わせてやることぐらいだ。

  
まず字幕の制限がない。

一行10文字、計二行の世界でヒーヒーいってる身からすれば、

これはもう天国快楽といわずしてなんといおう。
やれ常用漢字だ、いや当用漢字だと文字使いで頭を悩ますこともない。

実にノビノビ、自由ホンポーに仕事ができる。

  
テレビの翻訳料は字幕スーパーのそれより実は多少安いのだが、

それを除けば、これはなかなか楽しい仕事なのだ。

  

だが、欠点もある。

吹替え版てやつはいっさいがっさい、画面に流れている台詞・発声は、

すべて日本語に直さないといけない。二人同時にしゃべってれば二人の台詞を、

そのバックにラジオかテレビのアナウンスが流れていればそれも訳し、

声優さんに話してもらう。ここは関係ないからいいやーではすまされぬ。

これが大変な作業になる。

 

  

本文は菊地浩司が20数年前に「プレイコミック」という漫画雑誌に映画翻訳家の舞台裏をコラムとして掲載していた時のものです。本文に一部適切ではない表現がございますことをご了承ください。

TV台本との違い≪字幕版と吹替え版≫

「ウチのカミさんがねー」と、ヨレヨレのコートを着た風采のあがらない中年男がつぶやく。ちょっと古いが、ご存知、テレビ『刑事コロンボ』の名台詞だ。

原文は“My wife”か“My old-woman”かはたまた名前で呼んでいるのか分からない。吹替え番組だから、もとの英語が聞こえないからだ。

 
日本は面白い国で、テレビの洋画は圧倒的に吹替え版だが、劇場映画は99%が字幕スーパーになっている。ちなみに、ドイツでは映画館でもほとんどが吹替えでフランスでも大抵は吹替え版か吹替えと字幕版の並映である。

 
公用語が四つもあるベルギーでは、日常的にはフランス語とフラマン語という、

まったく異なる二つの言語が使われていて(!!)、

アメリカ映画にはこの二つの言語の字幕が同時に画面に現れる。

今回はこの吹替え版てやつを少し見てみよう。
『刑事コロンボ』の「ウチのカミさんがね」が、

流行語にまでなった名訳をされたのは額田やえ子さん。

小柄で気さくで、ほんとにそこらのカミさんみたいな(?)人。

 
大体コロンボは小池朝雄のしゃべり口の名調子で人気者になったのだが、そのもとはといえば、

やはり日本語台本のうまさで、翻訳者・額田さんの面目躍如というところだ。

 
吹替え版は俳優がしゃべる台詞が観客に聞こえない。

声優さんが日本訳台本を俳優の口パクに合わせて、しゃべるのだが、

最近はテレビに二か国語放送なんてのがあって、これを同時に聞くと、

甘いセクシーな金髪女優の声が、女子高生的キンキン声になってたりしてガックリすることがある。

 
最近はスターによって日本の声の出演者も固定されたりしていて

ナマの声より吹替えの声の方がシックリくる、なんてケースも出てきたけど。

 

本文は菊地浩司が20数年前に「プレイコミック」という漫画雑誌に映画翻訳家の舞台裏をコラムとして掲載していた時のものです。本文に一部適切ではない表現がございますことをご了承ください。

翻訳家列伝≪スーパーマン列伝≫

『クロコダイル・ダンディ』や、『ラスト・エンペラー』そしてウッディ・アレンの映画はこの人でないとダメといわれる翻訳者が進藤光太氏。小生が子供の頃、TVで『名犬ラッシー』なんてのを胸ワクワクで見ていたが、その頃、確かに“吹き替え翻訳・進藤光太”と出ていたっけ。

 
聞けば『スーパーマン』も『サンセット77』も『ベン・ケーシー』も、

みんな進藤さんの担当だったとか。懐かしいやら、すごいやら。

  
でも昔はテレビの翻訳料は、映画字幕の翻訳料より、ずっと安かったそうだ。
当時、大卒の初任給が一万五千円くらい。テレビの翻訳料は30分番組で五千円。

それに対し、映画一本分は六万円くらいというからサラリーマン一年生の四、五倍はもらっていたことになる。

 
フランス映画『天井桟敷の人々』で、フランス庶民のタバコ“ゴロワーズ”を“ゴールデン・バット”と訳したのが、稀代の名翻訳家、秘田余四朗氏。この人、いつも待ち合いに女をはべらせ、酒を飲みながら翻訳していたという。ヨダレの出そうな話だなぁ。今は大卒の初任給の方がずっとイイ(!?)

   
さて、そんなスーパーマンたちの集団「映画翻訳家協会」のメンバーは総勢15人。

一年間にかかる外国映画の数が昨年で約五百本。今年は六百本になるのではとの予想で、

五、六年前のポルノを入れても二~三百本の頃とくらべると、数字の上では映画は大繁盛だ。
しかし、本当は大半がビデオを売るため、劇場にかけてハクを付けてやろうという動機不純なもの。
今や映画館はビデオ販売の宣伝道具に堕落しようとしている。映画ファンとしてはさみしいね。
とはいっても、ビデオで毎月発売される洋画は二、三百本。年間三千本あるわけで、

大半は字幕入りだから、スーパーマンにとっては“ビデオは神様です”。

  
当然、15人では足りず、最近では新人翻訳者が雨後のタケノコの如く成長している。

それはそれでやむをい得ないとしても、誤訳、誤字、脱字は当たり前、字幕知らずの

字幕作りが横行してるなんて悪い噂も入ってきた。

  
お説教をするつもりはないけれど、ただ好きだから、英語が得意だからではやはり長続きしない。

てっとり早くという気持ちもわかるが、やっつけ仕事では何より“信用”を得られない。

やっぱりジックリ下積みから叩きあげていく努力が大切だ。

   

 

本文は菊地浩司が20数年前に「プレイコミック」という漫画雑誌に映画翻訳家の舞台裏をコラムとして掲載していた時のものです。本文に一部適切ではない表現がございますことをご了承ください。

翻訳家列伝≪大活躍!スーパーウーマン≫

確かに近年、ビデオソフトの普及で、字幕翻訳の需要はグンと高まっている。

ほんの5,6年前の劇場映画オンリーの時代とは大きく変わった。

でも、単なるあこがれだけではハッキリいってダメなんだな。

現実はどんなものか、ちょっと見てみよう。

  
今、一番活躍してる、文字通りの“スーパーウーマン”は戸田奈津子さん。

『インディー・ジョーンズ』シリーズや“007”もの、今から話題を呼んでいる

『バットマン』など、銀座や新宿、渋谷のでかいロードショー館の映画の翻訳は、

ほとんど彼女が手がけている。

  

変人ロバート・デ・ニーロや名優ダスティン・ホフマンとTVには出るし、

メル・ギブソンやシュワルツェネッガーと「笑っていいとも」には出るし、

まさに向かうところ敵なし、八面六ピの大活躍!では、このスーパーウーマンのプロフィールは・・・?  

  

戸田さんは英語の名門・津田塾大英文科卒。

映画が大好きで、一度はOL体験もしたが、すぐに映画を恋人と決めた。
といって、すぐ翻訳家になれたのではない。まず最初は洋画会社の宣伝部に渡りをつけ、

英文パンフの翻訳をしたり、外国のスターや監督が来日すると通訳やアテンダント(付添い)

を買って出たりし・・・。初めて字幕の仕事をもらうまで、十年以上の下積みをされている。

   
そのきっかけは、フランシス・コッポラ監督の通訳をしていて、

「字幕翻訳をやりたい」といったら「よっしゃ、ほんならオレの新作をやってみい」(?)

ということになり、M・ブランド主演の超大作『地獄の黙示録』で華々しくデビューした。

(デビュー作がお尻から水をピューッと出すポルノだった当スーパーマンとはエライ違いだね)

  

  

本文は菊地浩司が20数年前に「プレイコミック」という漫画雑誌に映画翻訳家の舞台裏をコラムとして掲載していた時のものです。本文に一部適切ではない表現がございますことをご了承ください。

マーケットの仕入れ人≪映画のマーケット≫

映画を観て興行主たちが「うーん、これはいい、儲かるゾ」と唸ってくれればいいが、逆に「つまらないなあ」「いらないよ」となると、エライことになる。
いらないよ、なんていわれても買った映画はもう返せない。

“不良在庫”をかかえることになる。映画館で映画が上映されるのは当たり前だが、そこに到るまでにはこのような苦労があるのだ。

    
で、上映する映画館が決まるとそれから宣伝。大金払って買った映画だ。

最低でも元を取るため、宣伝に時間をかけ、ジックリ勝負—なんてことやってると、どうしても産地直送より、公開まで時間がかかってしまう。

お分かりいただけましたか?

    
きたる10月20日から今度はイタリアのミラノで大きな映画のマーケットが開かれる。

ミラノにはトップレスの美女もいなければ、赤いジュウタンのメイン会場もない。

もっぱら商売専門で、パンフレットとビデオで映画を観て、あとはお値段の交渉ばかり。

     
何とも味気ない所らしいが、それでも日本からは大勢のバイヤーがドドッとくり出していく。

おかげでホテルも普段は安いくせに一泊3~4万仕儀となる。にもかかわらず、

当スーパーマンも映画見たさと本場のスパゲッティにつられてでかけることにした。

      
ホーガンとはおととしヒューストンのTVコンペで会った。愛嬌ある、人のいいオッサンだ。

一緒に写真を撮るコーナーがあったが、巨人とじゃ・・・と遠慮したが、来年に来日する予定だし、

その時はぜひ記念写真を撮ろう。

   

本文は菊地浩司が20数年前に「プレイコミック」という漫画雑誌に映画翻訳家の舞台裏をコラムとして掲載していた時のものです。本文に一部適切ではない表現がございますことをご了承ください。

マーケットの仕入れ人≪カンヌ映画祭にて≫

紺碧の海にサンサンと輝く太陽。浜辺にはトップレスの美女たち。

洋上のヨットではスターたちを交えた大パーティー。

そんなゴージャスなムードの中で、映画の売り買い商売が行われている。

 
街中の何十軒とある映画館では買い主たちが自分の作った映画を上映し、

バイヤー(買い手)たちは山ほどのパンフレットを持ち、新鮮でうまい魚、

じゃない、映画はないかと見て回る。

実は冒頭でのべたホーガンの映画はスーパーマンが見つけてきた作品だ

(面白いゾ!と今から宣伝しとこう)。

 
もちろん、商売だけではない。

ちゃんとしたコンペティションがあって、グランプリの受賞などもある。
コンペ参加作の上映は海辺のメイン・ホールにて。

夜の上映の時は、男性は全員タキシード着用。

スーパーマンも慣れないタキシードに蝶ネクタイなどしめ、

真っ赤なジュウタンを敷いた階段をカメラのフラッシュを浴びながら上がっていった

(もっとも、カメラはおのぼりさん観光客がやたらパチパチ写してただけ)。
  

さて、こんな所で買ってきた映画はフィルムをそのまま手に下げて日本に持ち帰るわけではない。
商談だけをまずまとめて、あとは日本へ戻ってから、いろいろと手続きをする。

やがてフィルムが送られてくる。

通関をし、字幕を入れ、それから興行主(映画館のオーナーたち)に見せる。ここがポイントだ。

   

本文は菊地浩司が20数年前に「プレイコミック」という漫画雑誌に映画翻訳家の舞台裏をコラムとして掲載していた時のものです。本文に一部適切ではない表現がございますことをご了承ください。

マーケットの仕入れ人≪ホーガン、銀幕に登場≫

カーンとゴングが鳴る。

長い金髪をなびかせたレスラーが相手をロープに投げつけ、

その反動で戻ってくる敵のノド元にアックス・ボンバーが炸裂!

ご存知、ハルク・ホーガンの登場だ。

   
このプロレスラーが主演する「ロッキー」仕立ての痛快アクション

“No Holds Barred”は今年6月全米で公開されるや、同時期公開の

「インディー・ジョーンズ/最後の聖戦」(1989)の2位に浮上、

3日間で5百万ドル(約7億円)の好成績をあげたゴキゲン映画。

   
この映画来年春に日本で公開される。

「最後の—」は、とっくに日本で公開されてるのに、

どうしてホーガンのはそんなに遅いのか。

それは映画の買付け、配給システムに大いに関係がある。

  

外国映画が日本に配給されるケースは二つある。

一つは“産地直送”タイプ。たとえば今から話題を呼んでいるワーナーMP「バットマン」。

ワーナー映画は日本に支社を持ってるから、この映画を直接日本に持ってこれる。

つまり産地直送。日本で一番売れそうな正月映画として公開してやろうというハラだ。
やはり正月用の「ゴースト・バスターズⅡ」(コロムビア) 

「バック・トゥ・ザ・フューチャーⅡ」(UIP)もこのタイプ。

   
もう一つは日本の映画会社が世界のあちこちにトコトコでかけ、自分で商品(映画)を買ってくるタイプ。

外国には年に何度か大きな映画祭があり、築地の魚市場に仕入れにいくように(?)でかけていくわけだ。

   
一番有名なのがカンヌ映画祭で、当スーパーマンもこの5月にカンヌへトコトコでかけてみた。

  

   

本文は菊地浩司が20数年前に「プレイコミック」という漫画雑誌に映画翻訳家の舞台裏をコラムとして掲載していた時のものです。本文に一部適切ではない表現がございますことをご了承ください。

戦争の犠牲者たち≪軍隊用語は省略で≫

さて、本日は軍隊用語の英語レッスンだ。
軍隊は忙しいので、いろんな表現をイニシャルだけですませてしまう。

 

よくお目にかかるところでは、「ASAP」。これは“As soon as possible”。

「できるだけ早く」って意味で、中学の時、習ったでしょう。

  
「MIA」は“Missing in a action”。戦闘中の行方不明者だ。

  
「C-rats」はC級のデキの悪いネズミ、じゃなくて“Combat rations”。

戦場へ持っていく携帯食料のこと。

  
“ベトナム”は「ナム」。“最高”はNumber one、“最低”はNumber ten。

貧しいアジア人が住んでる掘立て小屋みたいな家は“フーチ”と呼ぶが、

これは日本語の「ウチ」(家)からきたみたいだ。

  
Cherryはサクランボでも処女のナニでもなく“新兵”の意味として使われる。

  
また、アチラでは本隊や部隊にニックネームがついている。

パルマの新作でも「こちらサイレント・ツイン、スーパーマン02どうぞ」とやっていた。

日本の自衛隊でも無線で「こちらかぐや姫、ネズミ小僧どうぞ」なんてやってるのかな(まさか、ね)。

  
ところで、オロンガポの町に行った時のことだが、

土地のバアさんにいきなり日本語で「バカヤロー」と言われた時は驚いた。
何だと思ったら、その昔、日本兵から唯一習った日本語なのだそうで、バアさん、

明るい顔で「こんにちは」のつもりで言ったのだ。

   
考えてみると、これも“戦争の犠牲者”なのかもしれない。

  

 

本文は菊地浩司が20数年前に「プレイコミック」という漫画雑誌に映画翻訳家の舞台裏をコラムとして掲載していた時のものです。本文に一部適切ではない表現がございますことをご了承ください。

戦争の犠牲者たち≪暗いベトナム物≫

第一に軍隊用語。

手榴弾一つをとっても、破片手榴弾(fragme-ntation grenade)、

煙幕手榴弾(smoke grenade)と、いろいろ種類がある。

さらに“サンバー”という手榴弾を撃つ砲なんてのもあるんだな。

 
ヘリだって、“スリック” “スネーク” “ARA”だの種類の違うのが

バタバタ飛んでくる。

   
それに階級だ。英語じゃ、よく“ルーテナント”ってのが出てくるが、

これが少尉か中尉か決まってない。“サージェント”なんて最先任上級曹長から、

ただの3等軍曹まで七つも八つも階級が分かれてる。
   

さらに兵隊のスラング。

ベトコン一つ呼ぶのにも「VC」「コン」「グークス」(本当は東洋人の意)と、かしましい。

それにしても第二次世界大戦が壮大で過激なドラマだったとすると、ベトナム戦争は、

ちまちまとセコくて、いまだにウジウジと煮えきらないところがある。
同じ戦争映画でも、ベトナム物は観終ってスッキリしない、気持ち悪い。

   
このパルマの新作も、普通のベトナム人の村の娘を、米兵たちが奪って犯しちゃう実話ストーリーだが、

白人米兵の目にはアジア人の普通の娘も娼婦もみんな同じに映るらしい。

   
最近は減ったが、マニラを徘徊してる日本人のスケベ旅行者たちも似たような目で、

フィリピン女性を見てたよナ。
昔、オロンガポ(フィリピンの軍港の町)へ行った時、米軍の基地のゲートからは、

すぐに娼婦街が続いていて、米兵たちは街へ出ると娼婦以外に出会わない構造になっていた。

  
そんな米兵たちが日本にきたらやっぱり同じような目で日本の娘たちを見てるのだろうかと思うと

気が重くなる。でも、ベトナム戦争って一体何だったんだろうと、ふと思う。あの頃はベトナム反戦、

ピース(平和)、ラブ(愛)なんて、みんな文化してたが。今やそこの難民が長崎に押し寄せる時代である。

   

 

本文は菊地浩司が20数年前に「プレイコミック」という漫画雑誌に映画翻訳家の舞台裏をコラムとして掲載していた時のものです。本文に一部適切ではない表現がございますことをご了承ください。